身売り、遊女の悲哀…童謡「はないちもんめ」や「ずいずいずっころばし」に秘められた残酷な意味とは?:2ページ目
この童謡の本当の意味も…
ところで「身売り」あるいは「遊女」に関する事柄が由来とされるわらべ歌がもうひとつあります。『ずいずいずっころばし』です。
ずいずいずっころばし
ごまみそずい
茶壷におわれて
どっぴんしゃん
抜けたら どんどこしょ
俵のねずみが
米食って ちゅう
ちゅう ちゅう ちゅう
父(おっと)さんがよんでも
母(おっか)さんがよんでも
いきっこなしよ
井戸のまわりで
お茶碗かいたの だぁれ
リズミカルで、意味不明だけどユーモラスな歌詞ですね。これも多くの人が子供の頃に耳にしたことがあるでしょう。
参考資料『本当は怖い日本のしきたり』によると、これは遊女の悲哀を歌ったものだというのです。
かつて吉原遊郭に祀られていた五つの稲荷神社と遊郭に隣接する吉原弁財天を合祀した吉原神社
いわく「茶壷」は女性器です。ねずみ云々は、昔の遊女がねずみの鳴き真似をして男を誘っていたから。そして「父さんがよんでも母さんがよんでも」は、セックスの最中は親に呼ばれても戻らない、という意味だそうです。
最後の「お茶碗かいた」は、茶碗が欠けたということで、はかなく処女を散らせてしまったイメージですね。
私は子供の頃にこの歌で遊んだ記憶はないのですが、その遊び方というのは、複数人が人差し指と親指でいくつかの輪を作り、歌いながらその輪に指を次々と差し入れていくというものだそうです。
これは、何人もの男性客を相手にしないといけない遊女の性行為を表しているのだそうです。
これにとどまらず、もっと詳細に読み解いていくと、この歌が要するに「エロ歌」である証拠はいくつもあるようです。すべて挙げるとさすがに煩雑になるのでやめておきますが、試しに検索してみるとすぐ見つかりますよ。