山岳信仰や修行、狩りの為だった「登山」を国民的スポーツにした男・高頭仁兵衛【その2】:2ページ目
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高頭は、日本山岳会設立発起人の一人に加わり、1905(明治38)年10月、本郷の富士見楼で本邦初の山岳会が誕生します。
下級官吏の月俸が15円という時代に、年会費1円で入会者の予測がつかない山岳会に対して、高頭は、山岳会会費に欠損がある場合、向こう十年間、毎年1000円を提供、また万一の場合を考慮し、山岳会を受取人に養老保険1万円に加入担保することを約束しました。
当時の発起人のなかでただ一人、地方の豪農であった高頭の後ろ盾によって、日本山岳会は発足し、維持されてきたのです。
創立時の会員は116人のみで、これでは事務会計が成り立つはずはなく、すべて高島が資金を工面したのです。このことは長い間、誰にも知らされずにいたようです。
1933(昭和8)年、第二代日本山岳会長に就任し、2年後に、名誉会員に推薦されました。
一時は「登山狂い」で先代からの財産を傾けたなどとも、世間でうわさされましたが、高頭は、山への情熱と研究に生涯を捧げ、日本で一番古い社団法人日本山岳会を育て上げたのです。
参考
- 藤島玄「日本山岳会の先覚者」『越佐が生んだ日本的人物』第1集(1965 新潟日報社)
- 日本山岳会『越後の旦那様高頭仁兵衛小伝』(1970 野島出版)
- 森谷周野「高頭仁兵衛」『新潟県人物群像』5(1986 新潟日報事業社出版部)
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