今見る大阪城は徳川時代の再建だった!秀吉時代の大坂城を徹底破壊して築城した近世要塞の見どころ【どうする家康】:3ページ目
岡山藩主池田忠雄が運び込んだ桜門内の蛸石
桜門の桝形内にある城内一の巨石。高さ5.5m、幅11.7mあり、岡山藩主池田忠雄が運び込んだと伝えられています。豊臣時代の自然石中心の石垣との対比が興味をそそる遺構です。
大阪城築城を担当した諸大名の刻印
大阪築城400年祭を記念して、大阪城の石垣に刻まれた刻印を展示紹介します。徳川大阪城築城の際、担当した諸大名の石工らが石に様々な文字や文様を刻みました。修理で交換された石や出土した石を並べ、銅板パネルを設置して解り易く説明しています。
加番小屋が建ち並んでいた梅林・雁木坂
豊臣氏時代、市正曲輪と呼ばれ片桐市正且元の屋敷がありました。且元は淀君らから謀反とみなされ大阪城を退去。これが大坂の陣の発端となったのです。江戸時代には、雁木坂に沿って加番小屋が建ち並んでいました。
ドーンセンターに展示される豊臣時代の復元石垣
大阪府立男女共同参画・青少年センター(通称ドーンセンター)の建設工事時に地下2mの地中で発見された豊臣氏時代の大阪城の石垣が展示されています。この場所は豊臣大阪城の三の丸北部にあたり、石垣は21mの長さがあり、高さは約5mと推定されている。石垣に使用されている石は、現在大阪城にみられる切石ではなく、自然石を積み上げた野面積という工法が特徴。