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そんなに嫌?鎌倉御家人・北条通時(義時の孫)が仕事サボりたさに並べた言い訳がコチラ

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随兵だけは絶対に嫌だ!1ヶ月にわたる闘い

さて、そんな北条通時が仕事をサボ……もとい辞退するべくゴネにゴネたのは鎌倉時代も中期の弘長元年(1261年)7月2日。

毎年8月15日に執り行われる鶴岡八幡宮の放生会(ほうじょうえ。現代の例大祭)に際して、随兵(ずいひょう。鎌倉殿の護衛)を任じられた時のことです。

「え~……すみませんが私、流鏑馬神事の所役もやってるんで、掛け持ちは厳しいですよ。随兵は勘弁して下さい」

……駿河五郎 三浦介六郎左衛門尉
各勤流鏑馬之間。兩役難治之由申之……

※『吾妻鏡』弘長元年(1261年)7月2日条

流鏑馬神事は毎年8月16日に執り行われる習わしで、現代でも例大祭の最終日に執り行われています(ただし令和4・2022年は新型コロナウィルス対策のため中止)。

たぶんダメ元で言ったのでしょう。幕府当局の担当者である二階堂行頼(にかいどう ゆきより。二階堂行政の玄孫)と武藤景頼(むとう かげより)に叱られてしまいました。

「8月16日の流鏑馬に出ると言っても騎手を務める訳でなし、8月15日に随兵を務めるのに支障はなかろう。いいから指示に従いなさい!」

……自身非射手者。不可有恩許。早如元散状可爲隨兵……

※『吾妻鏡』弘長元年(1261年)7月2日条

この辺りのやりとりから、通時にとってお役目の辛さは「随兵>流鏑馬所役」であることが判ります。確かに流鏑馬の所役も緊張する(体験談)ものの、鎧を着こんで武装して鎌倉殿に近侍する方がより大変そうです。

しかし通時は諦めません。8月6日、今度は「体調が悪いので辞退したい」と再チャレンジしました。

駿河五郎辞退随兵事。始則勤仕流鏑馬役之間。計會之由申。後亦稱所勞之由。仍度々被仰之處。如去六日請文者。病痾難治之間。加灸之趣也。而當出仕之上者。固辞不可然。重可催之由云々……

※『吾妻鏡』弘長元年(1261年)8月7日条

これを聞いた当局は呆れてしまいます。

「前に『流鏑馬所役との掛け持ちは厳しい』と言っていたのに、それがダメなら今度は所労(体調不良)と言い出しおった。どっちもバックレる気満々じゃな……8月6日付の申請書によると『病気がなかなか治らず、当分お灸を据えて療養します』と言っておるが、アイツ普通に出勤してるよな?辞退などけしからん。何度ゴネようがダメなモノはダメ!」

「いや、信じて下さいよ。本当に体調不良なんですってば!」

「黙れ黙れ、そんなに元気な病人がいるものか!」

……なんてやりとりがあったのかどうか、3日後の8月10日。ついに幕府当局は匙を投げたのでした。

晴。駿河五郎事。去八日重催促之處。猶以難治之由載請文。仍有其沙汰。故障之趣雖無其理。如當時者。隨兵有數輩歟。可有免許之由。被仰出云々……

※『吾妻鏡』弘長元年(1261年)8月10日条

せっかくなので、この文章を読み下してみましょう。声に出すと、不思議と当局のうんざり感が伝わってきます。

「晴れ。駿河五郎のこと。去(さ)んぬる八日、重ねて催し促すのところ、なおもって難治のよし請文(しょうもん/うけぶみ)に載するによってその沙汰あり。故障のおもむき、その理なしといえども、当時の如くは随兵の数輩(すうばい)あらんや。免許あるべきのよし、仰せ出(い)ださると云々……」

要するに「まったく屁理屈ばっかりゴネおって……もうよい、そなたには頼まん。随兵のあてなら他にもおる!」と言ったところ。

こうしてめでたく?随兵のお役目を逃れ、ゴネ得を勝ち取った通時。ですが、その場はよくても今後の人事評価がボロボロになりそうで怖いですね。

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