そんなに嫌?鎌倉御家人・北条通時(義時の孫)が仕事サボりたさに並べた言い訳がコチラ:3ページ目
終わりに
……と通時も思ったのかどうか、いざ本番の8月15日には駿河五郎通時の名前がしっかり記録されていました。
……後陣随兵
駿河五郎通時 武藏八郎頼直
遠江十郎左衛門尉頼連 武石三郎左衛門尉朝胤
小野寺新左衛門尉行通 隱岐三郎左衛門尉行景
大曽祢太郎左衛門尉 小田左衛門尉時知
土肥左衛門尉 完戸二郎左衛門尉家氏
河越次郎經重 出羽七郎左衛門尉行頼……※『吾妻鏡』弘長元年(1261年)8月15日条
これは流石の通時も申し訳ないと思って「すいません、何か急に体調がよくなりました!」と心を入れ替えたのか、あるいは「やっぱり人が足りない!引きずってでも連れて来い!」となったのでしょうか。
もしかしたら「とりあえず書類上の体面だけは整えておこう」と勤務実態と異なる記述をした可能性もなくはありません(何だかお役所仕事ですね)。
ちなみに、随兵などのお役目をサボる理由として「歳をとって鎧を着るのがしんどい」「鹿肉を食べて心身がケガレてしまった(神事に参加できない)」「そもそも着ていく装束を用意できない」など実にさまざま。
今も昔も、何とかサボろうとする者と何とか務めを果たさせようとする者の闘いは激しく繰り広げられ、これからも果てしなく続いていくのでしょう。
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡15 飢饉と新制』吉川弘文館、2015年4月
- 野口実 編『図説 鎌倉北条氏 鎌倉幕府を主導した一族の全歴史』戎光祥出版、2021年9月
- 北条氏研究会 編『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社、2001年6月