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和田義盛が源実朝におねだりしたものとは?『吾妻鏡』を読んでみると…【鎌倉殿の13人】

和田義盛が源実朝におねだりしたものとは?『吾妻鏡』を読んでみると…【鎌倉殿の13人】:2ページ目

ついに諦めた義盛、残念がる実朝

……が、ウブな実朝が政子&義時の老獪姉弟に太刀打ちできるはずもなく、いたずらに歳月が流れるばかり。

最初のおねだりから2年半余が経ち、年の瀬も迫る建暦元年(1211年)12月20日。義盛はついに上総国司を諦めたのでした。

和田左衛門尉義盛上総國司擧任所望事。已断餘執訖。可返給彼款状之由。以子息四郎兵衛尉相觸廣元朝臣。先日進置御前之上。不能左右之趣。乍令返答。即以披露之。太不叶御意趣。暫可相待之旨。被仰含之處。今及此訴。偏是奉輕上計之所致也云々。

※『吾妻鏡』建暦元年(1211年)12月20日条

「……分かりました。きっと鎌倉殿は、それがしと尼御台・相州殿の板挟みになって苦しんでおいでじゃったろう。誠に申し訳ないことをしてしまった」

そこで四男の和田四郎兵衛尉義直(しろうひょうゑのじょう よしなお)を派遣して、嘆願書を差し戻してもらうよう申し出ます。

しかし、そんな義盛の申し出をしって実朝はがっかり。確かに時間はかかっていて申し訳ないけど、本当に叶えてあげたかったのに……思わず愚痴をこぼしました。

「そうか……大江にも骨折りしてもらっていたのだが、やはり私には無理だと見限られてしまったようだ。無理もないが、やはり信じて待っていて欲しかったな……」

「自分から言い出しておきながら、あっさり取り下げるとは……誠に御所を軽んじた振る舞い、和田殿にも困ったものだ」

「相州よ、もう言うでない」

ずっと上総国司の件を阻んでいた張本人がよう言うわ……苦虫を嚙み潰したような実朝の顔が目に浮かびます。

終わりに

この一件より義盛と北条氏の間にわだかまりが生じ、やがて建暦3年(1213年)に和田合戦が勃発。義盛はじめ和田一族は滅ぼされてしまうのでした。

気の毒ではあるものの、いくら仲良しだからと言って義盛だけ特例を認めてしまうのは政治の秩序を脅かしかねません。

子供の時は「義時は意地悪で、挑発の末に義盛を滅ぼした悪い奴だ!」と思っていましたが、歳をとってから改めて見ると義時は政治の公平性を守っただけのこと。

いつまでも鎌倉殿となぁなぁで楽しかった古き良き時代は去り、古参の老勇者は淘汰されてしまったのでした。

大河ドラマでも史実でも、仲良しだった和田義盛と源実朝。一緒の時間が楽しいほど、別れは辛く悲しいものとなることでしょう。

『吾妻鏡』だと、義盛は寵愛していた(さっきも登場した)和田義直の討死を悲しんで自暴自棄となり、泣き叫びながら駆けずり回って討死します。

「鎌倉殿の13人」における義盛は、最期に実朝を「武衛、武衛……っ!」と呼び叫びながら討たれていくのでしょうか。かつて主君をブエイ(武衛)と呼んだ上総介広常(演:佐藤浩市)が、哀れに斬られていったように(第15回放送「足固めの儀式」より)。

果たして三谷幸喜がこの凄惨な場面をどのようにアレンジするのか、今から注目しています。

※参考文献:

  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡7 頼家と実朝』吉川弘文館、2009年11月
 

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