戦国時代、弟に仕えた織田信長の兄・織田信広のあまり知られていない生涯【前編】
戦国三英傑の一人「織田信長(おだのぶなが)」はあまりにも有名な人物だが、信長の兄の存在はあまり知られていない。
今回は信長の兄であり、織田家の武将として生きた「織田信広(おだのぶひろ)」の生涯をご紹介する。
出生
織田弾正忠家を継いだ父「織田信秀(おだのぶひで)」の長男として生まれる。生年月日は不詳。信秀にとっては長男だが、母親が側室であったため家督相続候補から外れていたとされる。
生年が曖昧なため信長との年齢差ははっきりしないが、ある程度の差があったのではと考えられている。
信広は相続権こそなかったものの、信秀との関係は良好であったようで、1540年代の中期には三河国(現在の愛知県東部)から奪った安祥城(あんじょうじょう)を任されている。
人質として今川家へ
織田氏は駿河国(現在の静岡県)を有する今川氏と代々敵対関係を続けていた。
1549年。今川家当主・今川義元の命を受けた大軍が信広が守る安祥城を襲撃。安祥城は陥落し、信広は人質として今川方に囚われてしまう。
信広の生け捕りは今川方の計画的な策略であったとされる。今川方は、人質としたはずの松平家の当主「竹千代(後の徳川家康)」を織田方に奪われており、信広を手中にすることで人質交換を狙った。後にお互いの人質は交換され、信広は織田家に戻っている。
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