400年前、仙台城下に張られた”六芒星の結界”は今も生きているのか?その2:2ページ目
仙台城本丸 1603
慶長5年(1600)に城の縄張り始め、翌年土木工事開始、慶長8年(1603)にわたまし式を行ったとあり、大広間を除きほぼ完成したとされます。
この場所は、もともと国分氏(政宗の叔父)の支城がありました。国分氏はそれまでこの一帯の領主でしたが、政宗により支配下に置かれ、国分町に住まわせられたのです。
城は、天守を持たない山城ですが、崖にせり出した「懸け造」という建物がありました。政宗公が生まれ育った米沢城と、青年期を過ごした岩出山城にも「懸け造」があったという記録があります。伊達氏にとっては天守に匹敵するほどの重要な建造物であったと推測します。
青葉山にあるので別名青葉城と呼ばれています。*敷地内に護国神社がありますが、ここは戦争で亡くなった英霊を祀っています。
愛宕神社 1603
愛宕神社のある山は「向山(むかいやま)」といい、青葉神社(北山)へは直線上に国分町の通りと重なります。
陰陽五行説では、北の水に対して南は火となり「軻遇土神(かぐつちのかみ)」を祀ります。
愛宕山の南側は、茂ケ崎山との谷間に東西に延びた道路がありますが、そこは古からの街道で「東街道(あずまかいどう」と呼ばれていました。城下に入るための出入り口に位置し重要な監視ポイントでもありました。
国分氏の時代に青葉山には仙台の地名の由来となった「千躰仏(せんたいぶつ)」があったのですが、仙台城の築城により経ヶ峯(瑞鳳殿)に移り、その後愛宕神社の西側にお堂が建てられ遷座しました。
六芒星の6地点の中では、仙台城址と愛宕神社のみ、城下を一望にすることができます。