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実在した暴れん坊将軍!一度ブチ切れたら何をするかわからない暴君「徳川重倫」その2

実在した暴れん坊将軍!一度ブチ切れたら何をするかわからない暴君「徳川重倫」その2

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実在した暴れん坊将軍!一度ブチ切れたら何をするかわからない暴君「徳川重倫」その1

紀州藩を治めた紀州 徳川家は、徳川御三家に数えられる名家。5代藩主の吉宗は江戸幕府8代将軍にもなっています。その名門である紀州藩主の8代目は徳川重倫(とくがわしげのり)という人物です。[cap…

徳川重倫(とくがわしげのり)は、一度ブチ切れたら手の付けられないほどの暴君でしたが、そんな暴君が隠居を余儀なくされた理由は「ご近所トラブル」。

ある日、紀州藩の江戸屋敷の向かいにある松江藩松平出羽守の屋敷が賑わいを見せていました。松江藩主が奥女中を連れて高いやぐら(高楼)で夕涼みをしていたのです。ところがそのやぐらが紀州藩の重倫を見下ろすような位置関係にたっていたのです。

激怒した重倫は、「武家の屋敷を上からのぞくとは!」と、すぐさま戦にでるような陣羽織を着、松江藩邸に向けて鉄砲を撃ちまくりました。逃げ惑う女中たちをみて重倫は愉快そうに笑ったといいます。

このことが幕府に発覚し、問題視されると「あれは鉄砲を撃ったのではなく、花火を打ち上げただけのこと。天下のご親藩大名が花火の音にうろたえるとは何事か!」と述べ、「鉄砲のたまには紀州の葵の印でもついているのか」と、証拠がないことを主張して開き直りました。

その問いに詰まった松江藩の使者は悔しがりましたが、証拠がないので泣き寝入りせざるを得ませんでした。それでも結局、重倫は隠居することになり、和歌山に帰ることとなりました。

ところがそれで重倫が収まるはずもありません。鬱憤がたまったせいか、以前よりも短気になり、いつでも刀が抜けるようにしていたといいます。

2ページ目 晩年は徐々に落ち着いた暴君ぶり

 

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