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フランシスコ・ザビエルとルイス・フロイス、日本でキリスト教を布教した後どんな最期を迎えたのか?

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ルイス・フロイスと日本

次にルイス・フロイスですが、彼は16歳でイエズス会に入会。先述した、当時のアジア布教の拠点だったインドのゴアへ赴き、宣教師として養成されました。

このゴアでフランシスコ・ザビエルに会ったことで、彼の人生は決まります。フロイスも日本で布教活動を行いたいと考えるようになったのです。

彼が念願の日本上陸を果たしたのは1563年(永禄6)、31歳のときのことでした。長崎の横瀬浦に到着し、そこで日本語を学ぶと平戸から京都へ向かいます。

そして畿内で勢力を伸ばしつつあった織田信長の信任を得て、畿内での布教を許可をとりつけました。

来日して21年目の1583年(天正11)には、イエズス会から日本語の能力と文才を高く評価され、日本におけるイエズス会の活動記録を残すように命令されました。この記録が、のちに『日本史』と呼ばれて戦国時代の第一級の史料となります。

フロイスは、豊臣秀吉が1587年(天正15)にバテレン追放令を出したことで畿内には居づらくなり、長崎で暮らします。

そして1592年(天正20)、 再来日していたかつての上司ヴァリニアーノとともにマカオへ。三年後に再び長崎へやってきて 、1597年(慶長2)に長崎で亡くなりました。享年65歳でした。

二人の足跡を改めて辿ってみると、彼らがアジアでの布教に命を捧げたことが分かりますね。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:Wikipedias

 

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