母親は天女!?常人を超えた怪力を持った戦国武将・延沢満延の逸話がどれもスケールがデカ過ぎる!:2ページ目
鐘を軽々と持ち上げる怪力ぶり
そのような伝説を持っている満延は、17歳の若い時より怪力として知られており、腕試しとして山形両所宮にある鐘を持ち上げてみてほしいと若侍に言われます。
数多の力自慢が苦戦していた中、満延は軽々と鐘を持ち上げました。
満延の怪力に周囲が唖然とする中、満延は「提灯より軽いじゃないか。これを鶴子まで持って帰る」と言いのけました。
鶴子は山形両所宮より10里(約40km)離れていましたが、難なく持ち帰ったと言います。
この他にも山形県東村山郡中山町にある円同寺の鐘を山形市長谷堂の清源寺に運んだエピソードも残っています。
満延はその鐘を運ぶ際に目が見える穴を鐘に開け、頭に被りながら運びました。
この時に満延が運んだとされる鐘は、現在も清源寺に残されています。
人間くらいの長さの金棒を振るって活躍
常人とは次元の違う満延の怪力は戦場でも遺憾なく発揮されました。
満延の氏族・延沢氏は最上八楯に属し、たびたび最上義光と戦いました。
ちなみに最上八楯は、最上氏と血縁関係にある天童氏が、村山地方にいる国人領主たちと同盟関係を結び形成された国人連合のことです。
ある時、義光が最上八楯の盟主である天童頼澄の守る天童城に侵攻した際、援軍として戦に参加していた満延は単騎で最上軍に突撃。
手に持っていた5尺1寸(約155cm)の金棒で兵たちをなぎ倒していきました。
満延を止めるべく、最上軍の武士が一騎打ちを仕掛けるも、首が胴までめり込み絶命させるほどの武勇を発揮します。
満延はこれだけでは収まらず、6尺(約180cm)ほどの大男に戦いを挑まれます。
武器の打ち合いでは勝敗が決しなかったので組み合いになったところ、満延は大男を持ち上げて田んぼに投げ飛ばしました。
投げ飛ばされた大男は、杭のように突き刺さったと言います。