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母親は天女!?常人を超えた怪力を持った戦国武将・延沢満延の逸話がどれもスケールがデカ過ぎる!

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2024/08/04

婚姻により最上義光に仕える

このような武勇や怪力を目の当たりにした義光は、満延を無力化することが最上八楯を崩す一手と考えます。

そこで義光は、天正12年(1584)に満延の息子である光昌と自身の娘・松尾姫を縁組させました

この縁組により満延は最上八楯から離脱。最上八楯は満延を失ったことと天童頼澄が守る天童城が落城したことで崩壊し、各々が最上氏に恭順の意を示しました

その後、満延は義光の家臣となりましたが、天正18年(1590)に義光と共に上洛した際に病に倒れます。

そのまま病は治らず、翌年の天正19年(1591)に京都にて病死しました。

義光ごと木を持ち上げた満延

義光の家臣時代、満延の怪力がどれほどのものか確かめるために、義光は満延に家中の力自慢たちを差し向けました。

満延は一斉に飛びかかってきた力自慢たちを即座に振り払うと、義光に向かって怒りをあらわにします。

満延の態度に驚いた義光は、逃げた末に桜の木にしがみつきます。それでも満延は義光を引き離そうとし、ついには桜の木ごと持ち上げてしまいました

この人間離れの怪力に感心した義光は、満延に褒美を与えたと言われています。

まさに怪力無双と言っても過言ではないくらいに満延は怪力だったことがうかがえますね。

 

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