日本文学はピカソに先んじていた!?『和泉式部日記』とシュールレアリスムの関係
人間性の回復としてのシュールレアリスム
皆さんはパブロ・ピカソの絵は一度は見たことがあると思います。と言っても「見た」だけで、何がなんだか分からないままだったという人が大部分でしょう。
ピカソの絵は難解です。人間の鼻は横向き、目も上に飛び出して手足はバラバラ。それなのになぜかピカソは20世紀を代表する超大物の画家とされています。これはなぜでしょう?
それを解く手がかりの一つが、実は日本の古典『和泉式部日記』に隠されていました。そこにあるのはある種独特の自然観・人間観です。ピカソの絵を通して、そうした自然観・人間観によって人間性を回復させようという思想が見えてくるでしょう。
世界史的な話になりますが、第一次世界大戦のあと、シュールレアリスムという運動が盛んになりました。これは、戦争によって明らかになった現代人の非人間性を反省し、人間性を回復させようという運動です。
で、その一つにデペイズマン(視点移動)という運動がありました。
視点移動がなぜ人間性の回復につながるのかというと、「視点を定める」ことは、実は人間中心の見方だからです。
ある視点から物事を見るのは、別の視点から見ることを否定しています。しかし、ここで別の視点から見たとしても、視点はそれで全部ではありません。いくらでも、さまざまな方向から見ることができます。一つの物事を見るのに、すべての視点から見ようとすると永遠に終わりません。
つまり「よりたくさんの視点から見ようとする」ことは、神秘的な「永遠」につながることでもあります。
多様なものの見方を通して、ひとつの視点にこだわる人間のエゴを投げ出す。これが視点移動による人間性の回復です。
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