百姓から一国の大名に!民衆や神様に愛された戦国武将・田中吉政の立身出世を追う【下】:4ページ目
エピローグ
百姓の倅から一国一城の主に成り上がった久兵衛は、堂々のお国入りに際して懐かしい顔を見つけます。
「おぉ、覚えておるか!わしじゃ、久兵衛じゃ!」
「……えぇ、覚えておりますとも。あの若者が立派になられましたなぁ……」
それは久兵衛がまだ7石2人扶持の駆け出しだったころ、茶屋の店先で桝(ます)を枕に寝ているところを諭した盲人(※完全に見えない訳ではない)でした。
「そなたのお蔭で、とうとうここまでやって来られた……改めて、礼を申す」
「まことに、まことにご苦労なされましたなぁ」
久兵衛は盲人を召し抱えて手厚くもてなし、その晩年を安らかに過ごさせました。つもる話も、山ほど聞いてもらったことでしょう。
若い頃から誠実一筋、お陰様で人々に慕われ、八幡様にも愛された人生でしたが、時にはダーティな仕事もしなければならなかった筈です。
「それもまた人生……いついかなる時も、またいかなる務めにも誠実に向き合い続けたお姿……この眼には、確(しか)と見え申す」
「そなたにそう言うて貰えるなら……すべて報われる」
かくして慶長十四1609年、久兵衛は62歳の生涯に幕を下ろしたのでした。その嫡男・田中忠政(ただまさ)は跡継ぎがいないまま亡くなったため改易(領地を没収)となってしまいましたが、その兄弟たちは久兵衛の血脈を受け継いでいきました。
また、かつて久兵衛が統治した近江八幡や三河岡崎、そして柳川の地には、現代も久兵衛の整備した町並みがその俤(おもかげ)を現代に伝えています。
【完】
※参考文献:
市立長浜城歴史博物館ら『秀吉を支えた武将 田中吉政―近畿・東海と九州をつなぐ戦国史』市立長浜城歴史博物館、2005年10月
宇野秀史ら『田中吉政 天下人を支えた田中一族』梓書院、2018年1月