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酒癖が悪く男児好き…!僧侶・安国寺恵瓊の生涯「本能寺の変」も予言し参謀として活躍

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本能寺の変を予言

織田信長が全国制覇を果たしたとき、京都にいた恵瓊は「織田信長の横死と羽柴秀吉(豊臣秀吉)の出世」を予言し、自身の主君・毛利輝元に伝えていたそうです。

楊斎延一 画

そして、その約9年後に「本能寺の変」が起こり、信長はこの世を去りました。信長の死後、恵瓊は毛利輝元に仕えながら、秀吉に気に入られることで側近となり出世します。

関ヶ原にて斬首された恵瓊

秀吉が亡くなった後、秀吉の後釜を狙った石田三成と徳川家康の間で戦が起こります。毛利家は石田三成率いる西軍と徳川家康率いる東軍のどちらの味方につくかで意見が分かれていました。

石田三成と仲の良かった恵瓊が西軍を推したことで、輝元も恵瓊を信頼し西軍につきます。しかし毛利家は、出陣することなく西軍を裏切ります。

というのも、戦況は東軍に有利な状況であったため、毛利家は「家」存続のために徳川家康の元へくだっていたのです。

恵瓊は毛利家に裏切られ、毛利家の将軍の代わりに関ヶ原にて斬首されました。

戦国時代を生きた男

恵瓊は、僧侶でありながら戦のキーポイントとなる場面では重要な役割を果たし、戦国時代を生きました。

僧侶としても参謀としても優秀だった恵瓊ですが、彼にも酒癖の悪さと男児好きという弱点があり、人間味あふれた人生を送っていたと思うと親しみもわいてきますね。

 

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