太古のアクセサリーは男が付けるもの!?縄文~弥生時代の装身具の内容とその役割の変遷:2ページ目
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装身具の役割の変化
また、当時の遺跡からは南海の大きな貝を輪切りにして作った腕輪も見つかっています。
福岡県飯塚市にある立岩遺跡の堀田甕棺遺跡に葬られていた人物は、右腕に17個、左腕に10個もの貝を連ねた腕輪がはめられていました。
ただ、こうした装身具も時代が下るとその役割が変わってきます。現代の装身具はオシャレ目的であることがほとんどですが、弥生時代後期の時点でもそのニュアンスは大きく変貌しました。
当時は大きな権力が成立し、装身具は単なる呪術の道具ではなく、権力者の地位を表すものになっていったのです。
より贅沢な装身具をつけることで、支配者が自分の権力を誇示するようになっていったのです。
参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedias
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