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「どうする家康」甲斐の虎、ついに始動!そして女城主の壮絶な最期…第11回放送「信玄との密約」振り返り:4ページ目
境界線の「川切」とは?信玄との密約
格下扱いされたことに腹を立て、交渉の席を蹴った家康たち。本人のいないところで信玄を「甲斐の猫」などと笑っていると、いつの間にか大入道が出現。
信玄公とお茶をしながら押しくらまんじゅう、いつしか本人と気づいた時には刺客がこちらを狙っていました(せっかくなので、あのカラス天狗軍団をズラッと囲ませても怖さが引き立ちましたね)。
「猫は嫌いじゃない。起きたい時に起きて、寝たい時に寝る。わしもあやかりたいもんじゃ」永年にわたり「甲斐の虎」として戦い続け、天下に武名を馳せた信玄ならでは深みのあるセリフです。
さて、二つのお団子じゃなくて今川領の駿河と遠江。これを分け合う(共同で攻める)武田と徳川で盟約を交わしました。
……是よりさき信玄入道は駿府に攻入らんにハ。後を心安くせずしてはかなふべからずと思ひ。まづ当家に使進らせ。大井川を限り遠州ハ御心の儘に切おさめ給ふべし。駿州は入道が意にまかせ給はるべしといはせければ。……
※『東照宮御実紀』巻二 永禄十二年「家康與信玄約分領駿遠」
【意訳】駿府へ攻め込むに際して、信玄は家康に使者を発した。「大井川を境界として遠江国は徳川殿がお好きに切治め給え。駿河国は我らにお任せ給え」とのこと。
大井川は駿河と遠江の両国を分ける境界ですから、文字通り駿河と遠江をそれぞれ分け合う意味になります。もう少し詳しい記述が『東照宮御実紀附録』にありました。
……同年十一月武田信玄御英名を志たひ。家人下条弾正して酒井左衛門尉忠次に書簡を贈り。この後は両家慇懃を通ずべきよしをのぶ。其書の表に啐啄の二字をしるせり。人々いかなる故を詳にせず。其頃伊勢の僧江南和尚といへるがたまゝゝ岡崎を過て東国に赴かむとするにより。石川日向守家成この字義をとひしかば。鳥の卵殻を破るにその時節あり。早ければ水になり遅ければ腐るといふ意なりと答へけるよし御聴に達し。すべて萬事に時を失はざるをもて肝要とす。主将たらん者は殊更此意を失ふまじと宣ひしなり。後に又柴田小兵衛正員をめし。鷹をかふにもよく夜据をなし。時節を伺ふて鳥を捉事は。昔聞し啐啄の意なりと仰られしとぞ。……
※『東照宮御実紀附録』巻二「信玄通家康」より
啐啄(そったく)とは、鳥のヒナが生まれる時、卵の殻を中と外からつつくこと。タイミングが早いと水になって(未熟なヒナが死んで)しまい、遅ければ中で死んで腐ってしまいます。
つまり「機が熟したので、共に今川を攻めよう」という事ですが、果たして作戦は成功。それぞれ所領を拡大しますが、後に信玄は欲を出したのでした。
駿河攻略が上手くいったので、この勢いで遠江ひいては三河まで併呑できると思ったのでしょう。
……誓紙の文に川をかぎりて両国の分界とせむとかき定られしは。大井川の事にてありけり。志かるを入道が心中には。 当家いまだ御若年におはしませば。今川義元が扱ひ奉りし折のことくせむと思ひあなづり。三河の里民の人質などをとりしゆへ。こなたより咎め給へば。誓紙に川切と志るせしは天龍川切なりといふ。こゝにて大にいからせ給ひ。天龍川はわが城溝のこときものなり。何ゆへに天龍切といふべきや。かゝる権譎のやからは行末たのまれずと仰有て遂に隣交を絶れしなり。(武辺咄聞書。古人物語。)……
※『東照宮御実紀附録』巻二「家康絶信玄(領地分界之紛議)」より
「確かに以前『大井川を境に』とは言ったが、正式な誓約書には『川切(かわぎり。川を限り≒境界に)』と書いてある。どの川とは書いておらぬが、それは天龍川(大井川よりもっと西)の事なのだ!」
「そんなバカな!天竜川と言ったら遠江国の半分以上ではないか!」
「……ちゃんと書面を読まんで署名捺印するからそうなるんじゃ。それにそなた、あの時に団子を半分しか食わなかったではないか」
「いや、そんな意味と知っていれば……」
なんてやりとりがあったか無かったか(フィクションですが)、後に家康が古狸となったのは、信玄に騙され……もとい薫陶を受けたからかも知れませんね。
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