聖徳太子もとい「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」って何をしてたの?その真の業績にスポットを当てる:2ページ目
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聖徳太子は○○大臣?
では具体的に、30代になった厩戸はどのような役割を負わされていたのでしょうか。
これは、斑鳩という地域にヒントがあります。例えば当時の飛鳥は、推古天皇や蘇我馬子の本拠地でしたが、ここは当時の政治の中心でした。一方で斑鳩はどうだったかというと、ここは難波を介して中国や朝鮮半島と直結する位置関係にありました。難波は当時の国際玄関口であり、大和川や竜田道でつながっていたのです。
ということは、厩戸は当時の「外務大臣」だったのではないかと思われます。斑鳩宮という官邸を本拠地にして、ここで彼は大陸を相手に政治を行っていたのでしょう。
ちなみに教科書的な知識では、冠位十二階や憲法十七条は厩戸皇子が制定したとされていますが、その証拠はありません。聖徳太子という人物が実際にどういう役割を与えられ、何をやったのかというのは、意外にはっきりしていないのです。
このため「聖徳太子は存在しなかった」という説もありますが、それはどちらかというとトンデモの部類に入ります。ここでは、厩戸皇子は外交を任されていたのだという説を採りたいと思います。
そういえば厩戸が外相に就任したのは、中国を中心とした東アジア情勢が大きく変動する時期でもありました。このような情勢の中、彼は遣隋使などの政策を実施していったのではないでしょうか。
参考資料
・遠山美都男・関幸彦・山本博文『人事の日本史』朝日新書・2021年
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