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高校球児の聖地・甲子園の土ってやっぱり特別なんだなあ・・・その秘密を探ってみたよ

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土を持ち帰るのは誰が始めた?

惜しくも試合に負けてしまった球児たちが、涙しながらグラウンドの土を集め持ち帰るその光景は、甲子園の風物詩となっています。

甲子園の土を初めて持ち帰った人物は、川上哲治(1937年、夏の23回大会)という説がありますが、本人は「最初に持ち帰ったのは自分ではない」と話しているので、始まりはもっと前にさかのぼるようです。

近頃では、春の大会では常連校ほど砂を持ち帰らない傾向にあるのだとか。

甲子園から出ていく土の量は、年間なんと約2トンにも上るそうですよ。

沖縄の首里高校のエピソード

第二次世界大戦終戦後、沖縄はアメリカの統治下にありました。

その夏の大会で、春夏を通じて初めて沖縄から首里高校が出場。1回戦で敗戦し、首里高のメンバーは甲子園の土をビニールに入れて持ち帰りました。

ところがアメリカの法律により、甲子園の土は外国の土とみなされ、植物検疫法によって帰郷後処分されてしまいます。

これは沖縄が日本ではないことを強く認識させられる出来事でした。

それを知った日本航空の客室乗務員有志らが、球場周辺にあった海岸の石を拾い首里に寄贈。

同校庭に、今も甲子園初出場を記念した「友愛の碑」というモニュメントとして飾られています。

そして、このエピソードがメディアで広まり、沖縄返還運動を加速させる一端となったともいわれているのです。

持ち帰った土はその後どうなっている?

それでは持ち帰った後、球児たちはその砂をどうしているのでしょうか?

メルカリで出品されているのを何度か見かけることがありますが・・・。

作新学院(栃木)OBの江川卓さんは、「わたしも45年ほど前持ち帰った『甲子園の土』が、今でも宝物です。土を見るたびに『厳しい練習を乗り越えてよかった』と思えるのです」と話しています。

横浜高校(神奈川)OBの上地雄輔さんは、甲子園の土はどこかに行ってしまったそう。

「来年は来る気ないのかっていう、上級生からの“圧”で1、2年生は持って帰りにくい。3年で負けた時も(甲子園の土を集めながら)負けたことに浸りたいが協会の人に『急いで、急いで!』とか言われてあんまりもらえない」と実体験をテレビで語っていました。

おみやげとして周りのみんなに配ったり、自分の高校のグランドに撒いたり、テレビの上に飾って大切にしているなど、人それぞれのよう。

高校球児の聖地である甲子園の土はやはり特別。一生の大切な思い出の品なのですね。

 

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