お城のシンボル「天守閣」を初めて作ったのは織田信長?豪華絢爛、幻の安土城:2ページ目
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豪華絢爛!七重の城「安土城」
安土城は現存していません。『信長公記』によると、七重の城で、天正四年1576年正月に工事が開始され、4月1日に完成しています。石垣は現在に直すと高さ11m。総黒漆塗りで御殿は部屋も柱も悉く金で欄干があり、狩野永徳に絵を描かせたとあり、相当な豪華絢爛であったもよう。
本丸は使者などと対面する政治の場として利用し、詰丸の御殿は住居として活用。安土城への麓の道は直線に伸び天守に登るような視覚効果もあり、また身分に応じて山腹から山麓にかけ家臣の屋敷を配置し、石垣で天守と隔絶することによって、ピラミッドの頂点に君臨するというイメージを植え付ける効果も担ったといいます。
徳川の世になると、3代目の家光による武家諸法度で高層の天守建築は原則禁止となり、5重以上の天守を持つのは有力大名に限られたとされています。
また戦国時代が終わると天守に住む必要はなくなり、天守とは別の御殿で暮らす大名がほとんどだったといいます。そのため、江戸城も明暦3年(1657年)の「振り袖火事」のあとは、天守を建て直しませんでした。
こうやって振り返ると、天主の君臨する歴史は意外と短かったのかもしれませんね。いや、しかしあらゆる面で革新的なことを起こした信長。恐れ入ります。
参考文献:
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