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首級は本当に飛んだのか?日本三大怨霊のひとつ、平将門「怨霊伝説」の元ネタを紹介【後編】

首級は本当に飛んだのか?日本三大怨霊のひとつ、平将門「怨霊伝説」の元ネタを紹介【後編】

エピローグ

さて、怨敵・長氏を祟り殺したのはよいが、このままだと荒次郎は、いつまでたっても怨みの業(ごう)が深まって成仏できない……そう憐れんだ総世寺(現:小田原市久野)の住職は荒次郎の元へやって来て、一首の歌を詠みました。

「現(うつつ)とも夢とも知らぬ一睡(ひとねむ)り
浮世の隙(すき)をあけぼのの空」

すると荒次郎は鬼神の形相を俄かに和らげ、静かな笑みを湛えて瞑目したかと思ったら、次の瞬間には白い髑髏に化けたのでした。

こうして荒次郎の怨霊は鎮められましたが、その後も荒次郎の首があった百間四方(一間≒約181.8cm)は満足に草も生えず、わずかに生えた草も毒気に満ちて、それを食んだ牛馬はことごとく死んでしまったため、誰も近寄らなかったそうです。

また、毎年7月11日になると三浦一族が滅亡した新井城(現:三浦市城山町)の上空に暗雲が立ち込めて稲妻が走り、亡霊たちの戦う剣戟が響きわたったと言われます。

そして、長氏の曾孫である北条氏政(ほうじょう うじまさ)が自害し、北条氏が滅亡したのは天正十八1590年、奇しくも三浦一族と同じ7月11日のことでした。

首だけになってもなおしぶとく生き続け、ついには怨敵を滅亡せしめた荒次郎のエピソードは、策謀によって滅ぼされてしまった将門の怨みを雪いで欲しい人々の「判官びいき」にマッチしたため、両者の伝承が融合し、永く語り継がれてきたことが偲ばれます。

将門と荒次郎、どちらも時代を越えて全力で闘い抜き、死してなお人々に崇敬される坂東の英雄として、これからも語り継がれていくことでしょう。

※参考文献:
乃至政彦『平将門と天慶の乱』講談社現代新書、平成三十一2019年4月10日
浅井了意『江戸名所記』改造社、昭和十五1940年12月7日
矢代和夫『北条五代記 日本合戦騒動叢書』勉誠出版、平成十一1999年5月1日
上杉孝良『三浦一族 その興亡の歴史』三浦市教育委員会、平成十九2007年3月

 

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