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大浦天主堂で起きた世界宗教史上の奇跡「信徒発見」:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

大浦天主堂で起きた世界宗教史上の奇跡「信徒発見」:長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

浦上教徒弾圧事件、そして信仰の自由

信仰を告白した浦上の信徒達は、その後、堂々とキリスト教の信仰を表明。檀那寺に「自分たちはキリスト教を信仰しているので、寺とは縁を切りたい」と申し入れたのです。

幕府による禁教令が続く中でのこの申し入れは、幕府の政策に背くことです。幕府はキリシタンと見なした人々を捕らえて棄教させ、釈放しますが、ほとんどの人が棄教を取り消しました。

政権が幕府から明治政府に手に移っても、禁教は続きました。

神道を国教とすることを定めた政府は、なかなか棄教しない浦上村のキリシタン約3,394名を日本各地に配流することを決定します。これが「浦上教徒弾圧事件」と呼ばれる検挙で、浦上のキリシタンはこの配流を「旅」と呼んでいます。配流先での拷問や重労働で約600名が亡くなりました。

これを聞いた欧米諸国は日本に猛抗議をします。ちょうどその頃、不平等条約を改正するために欧米を訪問していた岩倉使節団は、訪問先で信仰の自由を求めるように抗議と非難を受けました。信仰の自由を認めなければ外交は進まないと判断した政府は、ついに禁教令を解きます。禁教令が出されて260年以上が経っていました。

キリスト教の解禁後、五島、外海、天草など各地の信徒と神父の手によって、教会が建てられます。

キリスト教の伝来、繁栄、禁教と潜伏、そして復活という歴史を経て建てれた教会。「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を訪れる際はそんな歴史を知ると、より一層、意義のある旅になるかもしれません。

国宝 大浦天主堂

 
 

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