容赦なく首をはね……平安貴族でありながら”百人斬り”を果たした藤原朝成のエピソード【光る君へ 外伝】:2ページ目
中納言になれますように!
「……ダメです」
石清水八幡宮の神主は朝成の申し出を断りました。
「何ゆえっ!?」
「よろしいか。八幡大菩薩は殺生をお嫌いになり、放生を旨とされます。『強盗を百人斬ったから、その功績で中納言にしてくれ』なんて祈祷は上げられません」
八幡大菩薩は武神なので、武勇をお喜びになるかと思ったのですが、無益な殺生はむしろお嫌いのようです。
朝成は中納言になりたい一心で、神頼みをしようと思って百人斬りをしていたのでした。
ちなみに放生(ほうじょう)とは、生き物を殺さずに解き放つこと。古来罪業をあがなう功徳とされ、現代でも各地で放生会(ほうじょうえ)が行われています。
話を戻してこちら朝成。中納言になりたい一心で百人斬りに励んだのに、ここで引き下がる訳には行きません。
「そなたの言いたいことも解る。確かに八幡大菩薩の託宣には、ハッキリ殺生禁断の旨が示されておるからな」
だったら何故申し出たのか……しかし朝成は続けて言います。
「しかし託宣の最後に『忠義を尽くすため、悪人を成敗するのはこの限りでない』という文言があろう。わしが首を刎ねたのはいずれも悪人であり、これが忠義でなくて何だと申すか」
そう言われてしまうと、神主は返す言葉がありません。
「承知しました」
「うむ。解ればよいのじゃ」
かくして祈祷は上げられ、やがて朝成は安和3年(970年。天禄元年)に権中納言に昇進します。
「もう一声!」
と朝成が言ったかどうか、翌天禄2年(971年)には念願の中納言に昇進したのでした。
終わりに
今回は藤原朝成の百人斬りエピソードを紹介してきました。
朝成は他にも「食いすぎ肥りすぎエピソード」や「怨霊エピソード」などがあり、また娘を藤原宣孝(紫式部の夫)に嫁がせています。
平安貴族には他にも面白いキャラがたくさんいるので、また紹介したいと思います。
※参考文献:
- 土田直鎮『日本の歴史 5 王朝の貴族』中公文庫、1983年12月
- 黒板伸夫『人物叢書 藤原行成』吉川弘文館、1994年2月