鷹狩りは巳の刻以降に。その理由は?徳川家康のブレーン「南光坊天海」かく語りき【どうする家康 外伝】
徳川家康のブレーンとして活躍した名僧・南光坊天海。108歳という伝説的な長寿を誇った天海は家康・秀忠・家光の徳川三代に仕えました。
長く活躍したぶんエピソードも多そうですが、今回は家康とのこんなやりとりを紹介したいと思います。
※今回紹介する文献は江戸幕府の公式記録『徳川実紀』。いわゆる家康伝説や創作も入り混じった後世の史料ですが、これが事実かどうかよりも「まぁ、そんな事もあったかも知れないな」程度にお読みいただいて、家康や天海たちに興味を持って貰えたら嬉しいです。
鷹狩りは巳の刻以降に。その理由は?
家康が豊臣家を滅ぼし、ついに天下を統一した後のこと。家康はいつもの通り、趣味の鷹狩りに勤しんでいたと言います。
「さて、明日は何時(なんどき)に始めたら良かろうかのう」
天海に尋ねる家康。現代なら「そんなもん、自分で決めろ」「あんたがトップなんだから、決めれば誰も文句は言わんよ」などと思ってしまいそうです。
しかし当時は日によって時刻や方位の吉凶が大きく異なるため、いちいち占ってもらっていたのでした。現代でも「日取りがよい、悪い」なんて言いますよね。
で、家康に尋ねられた天海は答えます。「巳の刻(みのこく。朝10:00ごろ)がよろしゅうございましょう」答えを聞いた家康は、何か気づいたように訝しみます。
「そなた最近、ずっと『巳の刻がよい』と言っておらぬか?」運勢や吉凶は日々変転するはずなのに、いつもいつも同じ時刻が吉なのはおかしな話し。
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