鷹狩りは巳の刻以降に。その理由は?徳川家康のブレーン「南光坊天海」かく語りき【どうする家康 外伝】:2ページ目
「よもやそなた……」手抜きをしているのか、あるいは何か呪詛でもしかけようと企んでいるのか。猜疑心の塊となった家康ですが、天海は涼しい顔で答えました。
「何をおっしゃる兎さん。生死を分かつ戦であれば、日時の吉凶次第で時刻にも敏感になりましょう。されど今や四海一統あそばされ、世に何のご心配もなく鷹狩りに興じていられるのですから、多少のことはお気に召されるな」
「ふむ。一理あるようには聞こえるが……では、毎回巳の刻と申す理由は?」
「はい。あまり朝早くからお出かけになりますと、お供の者たちが暑さ寒さにしんどうございましょうからな」
要するに、家臣たちの体調に気遣っていたようです。あなたはただ出かけるだけだから何時でもいいだろうし、何なら少しでも早く鷹狩りに行きたいのでしょう。しかしそれに付き合わされる身にもなっていただきたい。
遠回しにそう言われているようで、少し反省した家康。以来、鷹狩りは巳の刻以降に行われるようになったそうです。
終わりに
……世治りて後御狩に出立せ給ふに。明日は何時に御出がよきといふを。いつも天海僧正に問しめらるゝ事なるが。和尚常に巳刻がよしと申。後に御不審に思して。刻限の吉凶も日によりてかはるべきに。御坊は例巳の刻がよしといふはいかなるゆへぞ。天海奉り。さればにて候。御軍陣の時ならば。日時の吉凶方位の向背によりて時刻の遅速も侍れ。只今四海一統して何の御心配もおはしまさず。この時に乗じて鷹を臂にしたまひ。郊外に出て御遊興あるに。時刻の早ければ。供奉の輩暁深くより起出て。寒夜ならば風霜にあたり。夏なれば短夜にくるしみ。いとからくも思ひ侍れば。いつも巳刻と申上るは。御時宜を見はからひての事なりと申上しかば。 君にも和尚の心用こそ。理なれと仰けるとぞ。(及聞秘録。)……
※『東照宮御実紀附録』巻二十四
以上、南光坊天海と家康のエピソードを紹介してきました。時刻の吉凶など気にせず鷹狩りを楽しめるようになって、何よりですね。
家臣たちの本音を代弁する天海はさすがですが、その意見を受け入れた家康も立派ではないでしょうか。
他にも天海には面白いエピソードがあるので、また改めて紹介したいと思います。
※参考文献:
- 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション