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「どうする家康」大勝利だが拭えぬ不安。第32回放送「小牧長久手の激闘」振り返り:3ページ目
井伊の赤備えと池田恒興・森長可の最期
……井伊万千代直政が二千餘兵を先とし。御旗下には小姓の輩并甲州侍のみ供奉し。直政が勢は富士の根の切通しより進めば。君も其跡より田の中をすぐに引つゞきかゝらせ給ふ。井伊が赤備長久手の巽の方よりゑいとうゑいゑいとかけ聲して堀が備に競ひかゝる……
※『東照宮御実紀』巻三 天正十二年「甲冑勝川之由来」
さて、秀次を蹴散らした家康は堀秀政を襲うため、井伊直政(いい なおまさ)を先頭に進撃します。
直政は武田旧臣の精鋭「赤備え」など2千余騎を率い、堀秀政の陣を巽(たつみ。南東)の方角より襲撃したのでした。
劇中にもあったように、敵はすわ武田の再来かと恐れたでしょうか。
……池田森が人数は山際より扇の御馬印朝日にかゞやきをし出すをみて。すは 徳川殿みづから来り給ふといふより。上下しどろにみだれ色めき立しに。直政が手の者下知してかけたつれば。森武蔵長一まづうたれ。池田勝入もみだるゝ勢をたて直さんと下知しけるが。永井傳八郎直勝につきふせられ首をとらる。其子紀伊守之助も安藤彦兵衛直次に討る。この手の大将池田父子森三人とも討れしかば。戦はんとする者もなくひたくづれにくづれたり。味方追討して首をとる事一万三千餘級なり……
※『東照宮御実紀』巻三 天正十二年「甲冑勝川之由来」
池田恒興・森長可らは朝日に輝く扇の馬印を見て、まさか家康自身がやって来たかと大慌て。
息もつかせず井伊直政の赤備えが襲いかかり、まずは森長可が討ち取られます。
何とか態勢を立て直そうと必死に指揮をとる池田恒興でしたが、永井直勝(ながい なおかつ)に討ち取られ、首を獲られてしまいました。
また池田恒興の子である池田之助(ゆきすけ。池田元助)も安藤直次(あんどう なおつぐ)に討ち取られます。
大将クラスの武将が3人も討ち取られてしまったため、残兵らはすっかり戦意を喪失。総崩れとなって逃げ出しました。
こうなると後は首を刈り取り次第、徳川勢は13,000もの首級を上げたそうです。
……ちょっと首級の数は盛っていそうですが、果たして池田・森らは討ち取られ、家康らは勝利を収めたのでした。
劇中ではナレーションだけでしたが、武士たちの立派な最期を描くこともまた、時代劇の醍醐味ではないでしょうか。
4ページ目 たとえ一人でも食い止める!本多忠勝の剛勇ぶりに秀吉も感動
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