頼朝、頼家、実朝…鎌倉幕府 黎明期の源氏3代暗殺?の黒幕とは:2ページ目
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また実朝は異例ともいえる若さで右大臣に出世していますが、当時の朝廷には、身分のわきまえない昇進は若死にするという迷信がありました。そう考えたときに、実朝の昇進は上皇が意図的に行ったもので、呪いの力によって、実朝を殺そうと考えたととらえることもできます。
実朝は、自信が編纂した『金槐和歌集』に「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」という後鳥羽上皇に対する忠誠心を表した和歌を残しています。
実朝の死に、上皇がどれだけ関わっているか、今となっては知る由もありません。
ただ、仮に実朝の死が上皇によって計画的に行われたものだとするのならば、なんだかこの和歌から悲壮感が漂います。
実朝の死から間もなく、上皇は倒幕の兵を集め、1221年5月15日には、北条義時追討の院宣を発するのです。実朝の死から、わずか2年ほどのことでした。
参考
- 源 実朝『金槐和歌集』(1963 岩波書店)
- 五味 文彦『源実朝 歌と身体からの歴史学』(2015 角川選書)
- 坂井 孝一『源氏将軍断絶 なぜ頼朝の血は三代で途絶えたか』(2020 PHP研究所)
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