その恩義をいつまでも…飢饉にあえぐ領民を命がけで救った戦国武将・一色輝季:2ページ目
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恩義を忘れなかった領民たち
しかし、いくら人助けのためとは言っても罪は罪であり、翌元和7年(1621年)に捕らわれた輝季は処刑され、その遺体は利根川に流されてしまいます。
「謀叛人を弔ったことが見つかれば、打ち首は免れまいが、ここで一色様を見捨てたら、俺たちは犬にも悖る」
とまぁそんな心意気の領民たちが輝季の遺体を収容して密かに埋葬。そして元禄14年(1701年)、輝季の没後80年の記念に「南無阿弥陀仏」とだけ刻んだ墓石を建てました。
そして明治時代に入り、ようやく徳川の世が終わったので、今さら謀叛人だ何だと咎められることもあるまいと一色神社(茨城県五霞町)を創建。かつて助けられた領民の末裔三家を中心とした祭礼が、毎年春と秋に執り行われてきたと言います。
大正10年(1921年)には没後300年記念祭、令和3年(2021年)11月21日には没後400年記念祭が執り行われたのでした。
「輝季公は幕府や藩に逆らった罪人で、祭っていることが知られれば打ち首になる。先祖たちの勇気はすごい」
※末裔三家の一人・藤沼喜義氏
「輝季公のことは父や兄からよく聞かされた。子や孫に語り継いでいきたい」
※同じく青木攻(川妻行政区長、四百年祭事委員長)
とかく移り変わりの激しい世の中にあって、輝季と領民たちの変わらぬ絆は郷土の誇りとして、末永く受け継がれて欲しいですね。
※参考:
- 恩人「輝季公」しのび400年祭 飢饉で年貢米強奪、命がけの救済 五霞町の一色神社
- 新井浩文『関東の戦国期領主と流通―岩付・幸手・関宿』岩田書院、2012年1月
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