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日本初の女子留学生となり、女子教育に心血を注いだ津田梅子の功績 〜新五千円紙幣肖像に

日本初の女子留学生となり、女子教育に心血を注いだ津田梅子の功績 〜新五千円紙幣肖像に:2ページ目

ブリンマー大学へ

梅子はフィラデルフィア郊外にあるブリンマー大学で生物学を専攻した。在学中には論文の執筆や日本人女性留学生のための奨学金制度の設立に尽力。ブリンマー大学時代に受けた少人数教育の経験が、日本の女性教育に対する情熱を確かのものとしたとされる。

帰国から塾の設立

1892年に帰国した梅子は、華族女学校や女学校での講師を努めながら女学生に対する援助を行った。1899年の法整備に伴い翌年に職を辞し、女子英学塾の開校。

女子教育の先駆的機関として一般女子の教育に大きな可能性を示した。開校当時の入学者は10名であり、1903年の第一回卒業式では8名の卒業生を送り出した。

晩年とその後

女子教育に心血を注いだ梅子は、1919年に塾長を辞任。十年後の1929年(昭和4年)に死去。享年64。

梅子が創設した女子英学塾は、関東大震災や第二次世界大戦を経た1948年に津田塾大学として設立認可を受ける。津田塾大学は現在も存続し、梅子の建学精神は受け継がれている。

 

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