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渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の”仕事人”蟻通勘吾の美学【上】

渋すぎる!平隊士の身分を貫いた新選組の”仕事人”蟻通勘吾の美学【上】:2ページ目

池田屋事件で大奮闘、報奨金十七両を受け取る

京都洛中に火を放ち、その混乱に乗じて帝(孝明天皇)に長州(現:山口県西部)へ御動座賜る(≒拉致する)ことにより、薩摩・会津に対する劣勢を挽回する……そんな過激派尊攘志士たちの陰謀を突き止め、彼らのアジトと化していた池田屋(現:京都府京都市)に討ち入って犯行を未然に防いだ「池田屋事件(元治元1864年6月5日)」

新選組の声望が一気に高まる契機となったこの一件で、勘吾は六番組長である井上源三郎(いのうえ げんざぶろう)に従って奮戦。

闇夜の乱闘ということもあって、誰が誰を斬ったかなど、詳細な記録はほとんど残っていませんが、勘吾の愛刀・昭重は帽子(ほうし。刃の尖端部分)が折れてしまったとの事で、戦闘の激しさを物語っています。

池田屋から凱旋した後日、勘吾は会津藩から十七両(現代の価値でおよそ80万円?)の報奨金を受領(※厳密には会津藩からの報奨金を、土方らが配分)しており、井上源三郎や斎藤一(さいとう はじめ。三番組長)、原田左之助(はらだ さのすけ。十番組長)らと同額であることから、その活躍が高く評価されたのは間違いないでしょう。

3ページ目 屯所を守った八十八たちは……

 

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