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「どうする家康」ついに始まった最終決戦!第46回放送「大坂の陣」振り返り:3ページ目
明石全登(てるずみ)
生年不詳~元和4年(1618年)没?
「てるずみ」という読み方には諸説あり、いまだ正しい読みは分かっていないそうです。
宇喜多秀家の家臣として武功を重ねますが、関ヶ原の合戦に敗れると秀家(八丈島へ流罪)と生き別れに。
黒田官兵衛の世話になった全登ですが、キリシタンだったことから黒田長政の代になって出奔。田中吉政の元へ転がり込んだと言います。
大坂夏の陣では奮戦するも武運拙く敗れ去り、敵中を突破して戦線を離脱しました。
その後の消息は不明、各地に落ち延びたとする伝承が残っているそうです。
大谷吉治
生年不詳~慶長20年(1615年)5月7日没
劇中で説明があった通り、大谷吉継の息子です。秀吉が亡くなった時に形見分けとして鐘切の刀を授かるほど将来を見込まれていました。
関ケ原の合戦で父が自害すると、再起を期して逃亡。大坂の陣に駆けつけて真田信繁と共に奮戦しますが、壮絶な最期を遂げます。
……それにしても、前振りもなくいきなりぞろぞろ出て来たところで、ちょっと感情移入できませんね。
彼ら一人ひとりに見せ場もないのでしょうから、何か名前を並べただけのような場面でした。
また、続々結集した牢人たちが徳川を圧倒しそうにも見せていましたが、裏を返せば「有力な大名たちからは、ことごとく見捨てられてしまった」「だから、カネで牢人たちを掻き集めるしかなかった」とも言えます。
そういう悲壮感を描いて欲しかったですね。
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