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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」ついに始まった最終決戦!第46回放送「大坂の陣」振り返り

「どうする家康」ついに始まった最終決戦!第46回放送「大坂の陣」振り返り:5ページ目

大砲について

この作品の大小火器については思うところがたくさんあるのですが、とりあえずいくつか。

「あの角度であの距離。いくら撃っても物理的に大坂城内にはとどかないはず」

「当時の砲弾は純粋に金属の塊なので、被弾しても炸裂はしないはず」

「いつぞやの火縄銃と同じく、やたら連射していたように見えるが、初弾装填から発砲そして次発装填まで何秒かかる想定なのか」

「大坂城の天守閣に避難した千姫が、屋根にあいた穴を見上げていたが、どんな大砲でどの角度から撃てばそんな穴があくよう飛ばせるのか。何なら爆撃機でも用意したのか」

……などなど。こういうリアリティに欠けると、物語に没入できなくて困ります。

さて、劇中での言及や大河ツアーズの補足どおり、家康は大坂城に砲撃を加えて豊臣方を弱らせました。

ただ、実際には砲弾のほとんどは届かず、硝煙と爆音による士気喪失効果≒嫌がらせがほとんどだったと言います。

しかしその中の一発がまぐれで茶々のいたそば近くまで届いたため、恐れをなして講和に傾いたとか。

劇中では男たちを煽るだけ煽っておいて、いざ自分の身に危険が及ぶと腰が引けるというのは、指揮官としてあるまじき振る舞いでしょう。

十六日 家康砲に巧なる者数十人を精撰し南は高虎忠直の陣地北は備前島より城中を射撃せしむ其弾丸天守閣の柱を撃砕し 閣為めに西に傾く 或は千畳敷に中る婦女周章股栗悲泣す浅井氏急に有楽治長を召し和議を秀頼に勧めしむ……

※参謀本部『日本戦史 大阪役』第三篇 第九章 講和

【意訳】慶長19年(1614年)12月16日。家康は砲術に巧みな者たちを選抜し、南からは藤堂高虎・松平忠直が、北からは備前島より大坂城内へ砲撃を加えた。

その中の一発が天守閣の柱を砕き、そのために天守閣が西へ傾いた。あるいは千畳敷に命中して女性たちが慌てふためき、泣き叫んだ。

浅井氏(茶々)は慌てて織田有楽斎(信長の弟)を呼び出し、秀頼に和睦するよう勧めたとか。

で、砲撃によって意識を失った茶々。まさかのここで死亡か!?って、もうその手法は何度目(第3回放送の本多忠勝、三方ヶ原の家康など)ですか?早く目を覚まして下さい。

……たとい本当に死んでいたとしても、ストーリー上支障がないから最早どっちでもいいのですが。

6ページ目 第47回放送は「乱世の亡霊」

 

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