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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 【どうする家康 予習】関ヶ原合戦…江戸幕府の公式記録『徳川実紀』が伝える当日の様子を紹介

【どうする家康 予習】関ヶ原合戦…江戸幕府の公式記録『徳川実紀』が伝える当日の様子を紹介

かくして家康たちが上げた敵の首級は実に35,270余り。そこまで数えたなら、あと1桁頑張って数えて欲しかったですね。

一方、徳川方の討死は3,000余り。大将クラスはみな無事でした。この大戦果に、家康は大方ならず喜んだといいます。

……(大道寺内蔵助が物語とてかたり傳へしは。凡関原の戦といふは。日本国が東西に別れ。双方廿万に及ぶ大軍一所に寄集り。辰の刻に軍始り。未の上刻には勝負の片付たる合戦なり。かゝる大戦は前代未聞の事にて。諸手打込の軍なれば作法次第といふ事もなく。我がちにかゝり敵を切崩したる事にて。追留などと云事もなく四方八方へ敵を追行たれば。中々脇ひらを見る様な事ならずと見えたり。是目撃の説尤實とすべし。)……

※『東照宮御実紀』巻四 慶長五年「関原対陣」

【意訳】のちに大道寺内蔵助が語るところによると、

「およそ関ヶ原の合戦は、日本じゅうが東西の両軍に分かれた大戦さであった。集結した軍勢は敵味方で合計20万、戦闘は辰の刻(午前8:00ごろ)に始まり、未の上刻(午後2:00前ごろ)に勝負がついている。両軍が大乱闘を繰り広げたため、古法に則るどころではなく、みな我武者羅に敵を斬り崩していた。そして追留など情けもかけず、四方八方に敵を追いかけ回したと言う。なかなか周囲を確認する余裕などなかった」……との事でした。

この目撃談が、もっとも真実味を持っていたそうです。

終わりに

以上『徳川実紀』の伝える関ヶ原合戦を紹介してきました。

言うまでもなく、ごく一部をかいつまんだに過ぎませんが、天下分け目の大戦さにおける概略はこんな具合だったようです。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、東西両軍の激突がどう演じられるのか、楽しみですね!

※参考文献:

  • 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション
 

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