歌舞伎役者・市川海老蔵さんの「海老蔵」の由来:2ページ目
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海老蔵→團十郎?
現在では市川海老蔵という名を経て市川團十郎を襲名する、という流れが主流になっています。しかし過去には逆の流れをたどった時代もあったようです。
初代の長男である二代目團十郎がその最初の例です。初代が突如この世を去ったとき、後継者である長男はまだ十代。父の死からわずか五か月後に、本名の九蔵から二代目團十郎を襲名することになりました。
父を失い苦労を重ねた二代目團十郎でしたが、祖父の堀越重蔵から数えて三代江戸で暮らし、江戸で生まれ育った“江戸根追い”を代表する役者として江戸っ子の象徴となり人気を集めてゆきます。歌舞伎で一番有名と言っても過言ではない「助六由縁江戸桜」の原型となる演目を初演した人物としても知られ、江戸歌舞伎の大スターとして君臨しました。
二代目團十郎は養子に三代目團十郎を襲名させると同時に、父の幼名である海老蔵を二代目として名乗っています。
初代・二代目親子は「役者の氏神・江戸の名物親玉」などと称され、現代まで続く團十郎家のスター性を確立し、江戸歌舞伎のルーツともいえる偉大な功績を残したのです。
こちらは五代目團十郎(出典:The Metropolitan Museum of Art)
名跡の歴史を紐解いてみることで、いろいろな発見があります。当代の海老蔵さんも、将来的には十三代目團十郎となられるはず。どんな歴史が刻まれるのか今からとても楽しみですね。
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