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【現地へ行ってみた】源義経の首を洗い清めた!?との伝承が残る「伝 義経の首洗い井戸」

【現地へ行ってみた】源義経の首を洗い清めた!?との伝承が残る「伝 義経の首洗い井戸」

実朝が唐船を作らせるために材木を切り出した大鋸の船玉神社から1Kmほどの場所、小さな公園の片隅に「伝 義経首洗い井戸」があります。

 

源義経は、兄・頼朝に鎌倉を追われると、奥州平泉へと逃げました。ところが、義経を匿うはずだった藤原泰衡は、鎌倉からの圧力に屈してしまい、500騎の兵で、衣川館にいた義経を襲い、自害に追いやってしまいました(享年31)。

義経の首は、美酒に浸し黒塗りの櫃に収め43日間かけて鎌倉に届けられました。首実検の後、用済みになった義経の首は片瀬の浜に捨てられてしまったといいます。

その後、義経の首は、潮に乗って境川をさかのぼり白旗神社付近に漂着したと伝わります。

 

片瀬の浜から流れ着いた義経の首を、里人がすくいあげ、この井戸で洗い清めたと伝えられています。井戸の中を覗いてみましたが、お水はありませんでした。

義経の首は、井戸で清められた後、白旗神社に祀られることになりました。一方の義経の胴体は宮城県栗原市栗原沼にある判官森に胴塚として祀られています。

地元では「白旗さま」といわれ、親しまれている白旗神社は、元々、関東地方を開拓したと伝えられる「寒川比古命(さむかわひこのみこと)」が祀られていました。寒川神社にも祀られている神様です。火災により度々再建がなされ、現在の社殿は1835(天保6)年に造営されたものです。

2ページ目 近くには弁慶塚が

 

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