刺し殺した友人の肉を…奈良時代のやんごとなき貴公子・葦原王のエピソード:2ページ目
衝動的に友を刺殺し、その肉を……
さて、呑んで暴れて好き放題に暮らしていた葦原王は、天平宝字5年(761年)に御使麻呂(みつかいのまろ)と呑んでいた時、談笑していたかと思ったら突如としてキレ出します。
「……○×△っ!?!」
その動機は不明ですが、ちょうど博打(サイコロ?双六?)に興じていたそうですから、恐らく負けた腹いせに「イカサマしやがって!」とか、まぁそんなところでしょうか。
「ぎゃあ……っ!」
懐中から抜いた短剣で御使麻呂を刺し殺した葦原王は、その遺体を仰向けに蹴転がすと股肉を削ぎ取り、胸板を俎板がわりにその肉塊を切り刻みました。
「これにテキトーな調味料を合わせて……と」
ズッタズタに切り刻んで気が済んだのか、葦原王は御使麻呂の肉を膾(なます)に仕上げ、酒の肴とばかりに平らげてしまいます。
「うん、まぁ……安っぽい味だが、食えなくはないな」
いい気分になった葦原王が大文字で引っくり返っていたところ、悲鳴を聞きつけた人々によって惨状が通報され、たちまちお縄になってしまったのでした。
皇族の身分を剥奪され、種子島へ
さて、やんごとなき方の猟奇殺人事件とあって、朝廷当局ではその対応に大わらわ。
「皇族の方を処断するようなことがあれば、朝廷の権威に傷がついてしまう……」
「さりとて、このまま無罪放免では、臣民に示しがつかぬ……」
「とは言っても平民と同じ罪に問うたら、犯行の悪質さから極刑は免れぬ……」
「なにぶん前代未聞の事ですから……」
平素の行いも行いだったため、捜査を進めると余罪も出るわ出るわ……けっきょく淳仁天皇(じゅんにんてんのう。葦原王のいとこおじ)の計らいによって死一等を減じ、種子島へ配流とされました。
また、皇族の身分は剥奪されて臣下(臣籍降下)となり、竜田真人(たつたのまひと)という姓(かばね)を与えられます。
真人とは皇室の子孫であることを証し、竜田とは当時の都・平城京より近かった竜田山(たつたやま)と思われ、当地にゆかりがあったのかも知れません。
子女6名と共に種子島へ流されていった葦原王はそれっきり歴史から姿を消しますが、恐らく現地で野垂れ死んだのでしょう。