刺し殺した友人の肉を…奈良時代のやんごとなき貴公子・葦原王のエピソード
かつて中国大陸では好んで人肉を食する風習があり、殺した敵を食い、飢えた親が子を殺して食い、あるいは貴人をもてなすため夫が妻を殺して調理し……などと言ったエピソードがゴロゴロ。
現代では考えられない価値観ですが、日本の歴史においても凄惨な食人事件とまったくの無縁ではなかったようです。
今回はそんな一人、葦原王(あしはらおう)のエピソードを紹介。彼は一体どんな事情で人の肉を食ったのでしょうか。
生まれた時から凶暴で……?
葦原王は天武天皇の孫に当たる山前王(やまくまおう)の子として誕生しました。母親は不明、姉妹に池原女王(いけはらじょおう。母は栗前氏)がいます。
生年は不詳ですが、父の山前王が養老7年(723年)に亡くなっているので、それ以前に誕生したのは確かでしょう。
勅撰史書『続日本紀(しょくにほんぎ)』によれば生まれつき凶暴な性格だったそうで、酒を呑んだくれては暴れ回ったと言います。
こうした非行の動機は史料に詳述されていないため推測するよりないものの、恐らく正室であったろう栗前(くりくま)氏の子である池原女王に愛情が注がれ、身分の卑しい(史書に名が記録されない)母の子である自分には愛情が注がれなかった……。
とまぁ、そんな現代でもありがちな感情のこじれだったのかも知れません(後世の史料では結果から原因を導き出しがちなので、その辺りは差し引いてあげる必要があるでしょう)。