武士も天下も興味はないが…心ならずも領民のために闘った戦国武将・三木国綱【下】:2ページ目
領民たちの嘆願によって助命され、武士を引退
「最早これまでか……!」
総大将の秀綱は壮絶に討死したとも、弟の鍋山季綱(すえつな)や親族の小島時光(こじま ときみつ)・小島基頼(もとより)らと落ち延びたものの、落武者狩りによって命を落としたとも言われています。
「勝敗は武門の常なれば、やむを得まい……斬れ!」
「そなたのために、多くの者たちが殺められた……八つ裂きどころか十六に裂いても足りぬわい!」
最後まで戦い抜いたものの、武運拙く捕らわれてしまった国綱は、これまで負った怨みの多さに観念しますが、金森勢の陣中に、領民たちが助命嘆願にやって来ました。
「お願いにございます。宮司様もとい刑部様が、お侍として何をなさったのかは存じませぬ。しかし、刑部様がわしらの暮らしや飛騨国を思われぬことはございませなんだ」
「わしら飛騨国に生きる者で、刑部様を慕わぬ者はおりませぬ。これから飛騨国を治められるのであれば、どうか刑部様の、わしらが宮司様のお命だけは、お助け下さいませぬか」
「うぅむ……」
もしここで国綱を斬ってしまえば、飛騨国の領民は永く抵抗を繰り広げよう。次々と届く助命嘆願の書状を見て、金森長近は飛騨牢人衆を説得して、出家を条件に国綱を赦免します。
「あぁ、良かった……」
出家した国綱は入道三澤(さんたく)と号しましたが、三は三木の名字から、澤は沢山(たくさん)、つまり「もう武士はたくさん(やりたくない)」をひっくり返した……とか(諸説あります)。
ところで、隠居していた頼綱はと言うと、国綱らとは別に難攻不落の高堂城(高山市)に籠城しており、よく敵を防いでいたものの、朝廷より停戦の勅命を受けて降伏。
秀吉にとって主君である織田信長の親族(※1)として助命され、公家(※2)ということで京都へ護送され、余生を過ごすことになります。
(※1)頼綱の妻は信長の舅・斎藤道三(さいとう どうさん)の娘であり、義兄弟(相婿)の関係に当たります。
(※2)姉小路家は飛騨国司の名門であり、実質奪い取ったとは言え、その家督がこういうところで役に立ったのでした(単なる地方豪族であれば、降伏の大義名分となる勅命も下りなかったことでしょう)。
かくして飛騨のやんごとなき?戦国大名・姉小路家は滅亡したものの、話はこれで終わりませんでした。