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「早苗饗」ってどう読むか分かる?失われつつある日本農業の伝統文化について:2ページ目
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失われゆく文化
行事の内容は地方によってまちまちですが、まず、田の神に田植えが終了したことを感謝し、農作を願って山へ送り出します。その後、田植えの従事者たちで無事に田植えが終わったことをお祝いするという流れが一般的です。
このお祝いで振る舞われるご馳走は、小豆飯、五目飯、炊き込み御飯、寿司、ぼた餅などさまざまです。
昔は苗代作りから田植えが終わるまでの期間、農家は多忙を極めていました。田植えは一定の期間に行う必要がある上に、当時は裏作として麦を作ることが多く、田植えの途中で麦刈りや脱穀の作業も入っていたのです。
また、田んぼに馬鈴薯や玉葱を作ることもあり、その収穫後にすき起こしや畦塗りなど田植えの準備を行いました。
そして休む間もなく田植えが行われます。今でこそ大型機械で一気に作業ができますが(そのかわり現代は少数の農家が広大な田んぼで大規模に作業することも多く、時間を食うのですが)、昔はほぼ全てが人海戦術でした。
こうした農業の苦労が想像できないと、早苗饗というイベントの持つ意味はよく理解できないかも知れません。事実、農業の形態が大きく変化している現在では、農協のイベントくらいでしか「さなぶり」という言葉はお目にかからないことも多いです。
その意味では、早苗饗は忘れられ、失われていく文化と言えるでしょう。
参考資料
季語と歳時記
東白川村役場
JAcom 農業協同組合新聞
「早苗饗(さなぶり)」 の由来と語源
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