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こんな大事なことを“口約束“!?幕末の「薩長同盟」元々は薩摩と長州の和解案でしかなかった

こんな大事なことを“口約束“!?幕末の「薩長同盟」元々は薩摩と長州の和解案でしかなかった:2ページ目

その内容とは、

  • 「もし戦いが始まったら、薩摩藩は3000の兵士で京都と大阪を守る」
  • 「長州藩が勝ちそうになったら、薩摩藩は朝廷に長州藩を許すよう頼む」
  • 「もし長州藩が負けそうになっても、武器の調達と朝廷への働きかけを続ける」
  • 「幕府が戦いを仕掛けなかった場合でも、薩摩は朝廷に長州藩の許しを申請する」

といったものでした。

これは、桂が龍馬に確認を求めた文書だからこそ、長州藩の要求が多く含まれていたのです。

このようにして、幕府と対立していた長州藩と、開国に前向きだった薩摩藩は、龍馬の長い説得によって同盟を結びました。

長州藩と龍馬の強い願いが、「和解」から「盟約」へ、そして最終的に「同盟」へと変わりました。そして幕府の第二次長州征伐に対して具体的に行動し、薩摩は3000の兵を出しました。

ここにおいて、曖昧だった「盟約」は、はっきりとした軍事同盟になり、この同盟が幕府を倒す原動力となっていったのです。

参考:

 

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