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大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「関ヶ原の合戦」で徳川軍の武将が着けている「伍」の旗指物&陣羽織は何の意味?【どうする家康】

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江戸時代の使番たち

さて、そんな使番の者たちは戦乱の世が治まると、遠方に赴任している幕府官吏の監督に当たるようになりました。目付と似たような職分ですね。

国目付や諸国巡見使として、幕府が直轄する二条城・大坂城・駿府城・甲府城などを監督。また江戸市中で火災が発生した折には大名火消(各大名家から派遣された消防隊)や常火消(幕府直臣の旗本による消防隊)の監督も務めました。

定員は元和期で25名。それが連絡の緊密化にともなって徐々に増え、文化(1804~1818年)ごろには50名ほど、やがて風雲急を告げる幕末期には最大112名にまで増えました。各地とのやりとりに奔走した苦労が目に浮かびます。

しかし増え過ぎたことで予算を圧迫するようになったのか、慶応2年(1866年)には定員が半数56名に削減され、慶応3年(1867年)には役料(役職手当)も削られました。

そして同年10月14日の大政奉還をもって江戸幕府は滅亡。使番たちも自然消滅していったようです。

終わりに

以上、徳川家康そして江戸幕府の使番について紹介してきました。

颯爽と「伍」の字の旗指物をはためかせ、戦場を疾駆する雄姿は、武士たちにとっても憧れだったことでしょう。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、彼らの活躍を見ることができるのか、今から楽しみですね!

※参考文献:

  • 大石学 編『江戸幕府大事典』吉川弘文館、2009年12月
  • 外川淳 編『戦国時代用語辞典』学研プラス、2006年12月
 

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