日常的に着物を着ていた日本人が何故洋服を着るようになったのか、明治時代の「引札見本帖」に探る【完結編】:2ページ目
女性の服装
ファッション面で特筆すべきなのは“モダン・ガール”通称“モボ”という女性たちの登場です。
都会にはミルクホール・ダンスホール・カフェーなどの娯楽的施設が栄え、“モダンガール”やモダンボーイと呼ばれる人たちが出入りするようになりました。
モダンガールの多くは洋服を着てスカート丈はひざ下からロング、釣鐘型などの帽子を被り、ヘアスタイルは断髪で、お化粧をしていました。
これは女性が職業をもって社会で働くようになった結果、女性が自由に使えるお金を持てるようになったことも影響しているでしょう。
こうした女性たちも今までのようにモダンボーイ以外の男性からは、はしたない・乱れているという目で見られていたのです。
こうなると女性の洋装化は、日本の男性との戦いのようにも思えてきます。
しかし、このように西欧化に強く影響されたのは都市部のみであり、地方の農村などの地域では、殆どの人々が昔とそれほど変わらない生活を送っていたのでした。
関東大震災という契機
1923年(大正12年)9月1日11時58分、関東南部を震源地として関東大震災が発生しました。ちょうど昼食時で火を使っていた家庭が多かったことや、能登半島付近に停滞していた台風による影響で関東地方全体に強風が吹いていたことから、あちこちから火の手が上がり大火災が発生したのです。
火事の火から逃れようと多くの人たちが川の中へと逃げ込み亡くなりました。他にも安全と思われるところに多くの人たちが殺到して、将棋倒しになって亡くなるということも多数起こりました。
上掲の絵を見ても女性は着物を着用していたので、現在のショーツ型の下着をつける習慣がありませんでした。そのためあられもない姿で亡骸となっている女性が多くみられたのです。
そのような状況を見た女性たちは、洋服というものを意識しはじめます。
1914年(大正14年)日本は第一次世界大戦に参戦します。当時すでに世界有数の工業国として近代工業が隆盛を誇っており、日本内地に戦火が及ぶことがなかったため、参戦国からの軍需品の注文を受け、日本はこれまでに無かったほどの大戦景気にわきました。
それでもこの年、銀座通りを歩く男性の67%が洋服だったにもかかわらず、女性の洋服はわずか1%でした。