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古墳時代はここから始まった?纏向古墳群(奈良県桜井市)にある6基の前方後円墳【前編】

古墳時代はここから始まった?纏向古墳群(奈良県桜井市)にある6基の前方後円墳【前編】

楯築墳丘墓からは、特殊器台と特殊壺と呼ばれる土器が発見されました。実は吉備地方特有のこの土器は、箸墓(箸中山)古墳[奈良県桜井市]、西殿塚古墳[奈良県天理市]など、古墳時代前期とみられる大和地方の前方後円墳からも出土しています。

 

さらに、楯築墳丘墓には御神体として不思議な文様が描かれた孤帯文石が祀られていました。同様な文様の石が纏向遺跡からも出土し、纏向石塚古墳からは孤文が描かれた板材の破片が発掘されました。

このことから、吉備と大和は深い関係があり、楯築墳丘墓が前方後円墳の原型になったのではとの学説があるのです。

 

さて、読者の皆さんはあることにお気づきではないでしょうか?そうです、墳丘墓である楯築墳丘墓が造られた2世紀後半~3世紀前半と古墳が初めて造られたとされる3世紀後半の間の約半世紀が空白の時代になってしまうのです。

この間、墳丘墓と古墳を繋ぐような墳墓はなかったのでしょうか?その答えとなるのが、今回のメインテーマである「纏向古墳群にある6基の古墳」なのです。

この古墳群は、弥生時代末期の2世紀後半から4世紀後半まで、約200年弱に亘り栄えた都市・纏向遺跡(奈良県桜井市)にあり、纏向型前方後円墳、箸墓(箸中山)型前方後円墳、前方後円墳、前方後方墳、円墳、方形周溝墓、帆立貝式古墳など、さまざまな墳墓の存在が確認されています。

なかでも、これから紹介する6基の古墳纏向石塚古墳・纏向矢塚古墳・ホケノ山古墳・纏向勝山古墳・東田大塚古墳・箸墓(箸中山)古墳]は、その編年を3世紀前半~後半と位置付けられます。

これは、弥生墳丘墓から古墳への約半世紀を埋めるとともに、古墳の発祥的な意味を持つ、日本古代史上、大変重要な墳墓であるのです。

3ページ目 纏向古墳群にある6基の古墳のかたち

 

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