古墳時代はここから始まった?纏向古墳群(奈良県桜井市)にある6基の前方後円墳【前編】:3ページ目
纏向古墳群にある6基の古墳のかたち
纏向遺跡内にある古墳は、約200年に亘り、さまざまな形のものが造られました。しかし、これから取り上げる6基の古墳に関しては、その墳形は二通りに絞られます。
●纏向型前方後円墳(別称:纏向型古墳・纏向型墳丘墓)…纏向石塚古墳、纏向矢塚古墳、ホケノ山古墳
●箸墓(箸中山)型前方後円墳…纏向勝山古墳・東田大塚古墳・箸墓(箸中山)古墳
纏向型前方後円墳(別称:纏向型古墳・纏向型墳丘墓)は、後円部に対して、前方部の長さが、後円部の径の1/2と短く、高さも後円部よりも低いという特徴を持ちます。
対して、箸墓(箸中山)型前方後円墳は、後円部に、先端部を撥型に開く長三角形の前方部を付設するという特徴を持ちます。
どちらも大きな意味では、前方後円墳ですが、纏向型前方後円墳(別称:纏向型古墳・纏向型墳丘墓)は、弥生墳丘墓が発展したものとする説もあり、そのため纏向型墳丘墓と呼び、古墳と認めない研究者もいるのです。
くり返しになりますが、編年的には、3世紀前半~3世紀後半の間で、纏向型前方後円墳(纏向型古墳)→箸墓(箸中山)型前方後円墳となります。
しかし、この6基の中で、築造年が判明しているものとしては、纏向石塚古墳(220年頃)、ホケノ山古墳(250年頃)の2基ぐらいで、残りの4基は学者によりそれぞれ約四半世紀~半世紀の隔たりがあるのが現状です。
以下に、6基の古墳の造営推定年代と全長をまとめてみました。
●纏向石塚古墳[全長約93m・220年頃]
●纏向矢塚古墳 [全長約96m ・230~290年頃]
●ホケノ山古墳 [全長約90m ・250年頃]
●纏向勝山古墳 [全長約100m ・250~270年頃]
●東田大塚古墳 [全長約120m ・270~290年頃]
●箸墓(箸中山)古墳 [全長約278m ・250~290年頃]
今後、各古墳の発掘調査が進み、新たな考古学的な発見があれば、確実な編年を確定することができるかもしれません。さらに、纏向遺跡そのものが全体の1割も調査がされていないため、6基の古墳の他にも新たな古墳が発見される可能性は大いにありえるでしょう。
後編では、古墳時代の幕開けと考えられる、纏向古墳群にある6基の古墳が歴史的に及ぼした影響とそれぞれの概要を紹介していきましょう。