[今さら聞けない幕末] で結局、尊王攘夷とは何?3つの時期に分けて解説
先日解説した、今さら聞けない幕末「どうして徳川慶喜は大政奉還をしたの?」はいかがでしたか?
[今さら聞けない幕末]どうして徳川慶喜は大政奉還をしたの?きっかけはあの幕末ヒーロー
今年2017年は大政奉還150周年の節目。幕末にペリーが来ていろいろあって、徳川慶喜が大政奉還した、というのは授業で習いましたが、詳しい背景は教科書に載っていませんよね。今回は、今さら聞けない大政奉還…
今回の今さら聞けない幕末は、幕末の小説やドラマを楽しむために押さえておきたい基本ワード、「尊王攘夷」。
今回は3つの時期に分け、あえて取り上げる出来事を絞って「尊王攘夷」思想を超簡単に解説します。
① 1853年〜1860年 ペリーがきて猫も杓子も「尊王攘夷」!
天皇を尊ぶ「尊王」論+外国を打ち払う「攘夷」論=「尊王攘夷」思想がいつ生まれたのかというと、きっかけはアノ人、ペリーさんです。
黒船来航時、巷で配られたペリーの似顔絵がブサイクすぎて、庶民は「やべえのが来た」と大騒ぎ。自然、「攘夷」論が生まれます。それがなぜ「尊王」とくっつくかというと、大の孝明天皇がめちゃくちゃ外国人を怖がり、嫌っていたからです。
日本で一番えらい天皇が「攘夷派」なんですから、初めは猫も杓子も皆「尊王攘夷」派でした。しかし、実際にペリーに詰め寄られてる幕府は、皆と一緒に離れた所で「攘夷だ攘夷だ」なんて言っていられません。ペリーがめちゃくちゃ怖いのです。もう明らかに日本の何百倍も強いのです。
板挟みになってどうしようもなくなった幕府大老・井伊直弼が、怖がる天皇すらムシして日米修好通商条約締結。これには日本中からブーイングが起き、井伊大老は桜田門外の変で暗殺されました。