
大河『べらぼう』着実に成長する蔦重、俄かに起こる神隠し…3月23日放送の解説&堪能レビュー!:4ページ目
蔦重の書いた『明月余情』跋(あとがき)
この際ですから、続いて蔦重が記した『明月余情』の跋文(あとがき)も読んでみましょう。
跋
郭中(かくちゅう)丹(に)物あり首(かしら)盤(は)茶番尾ハ祭禮(祭礼)足手盤踊乃如く丹て啼聲(なくこえ)芝居尓似たることのハ何也(なんだ)々々(なんだ)是則俄てふ(ちょう)物尓(に)して日々(にちにち)夜々(やや)趣向同じ可ら■”(おなじからず)きのふ(昨日)乃興ハ飛鳥川(あすかがわ)替り安きを花丹し■く余さ■(あまさず)漏ら寸(もらさず)図画(づぐは=ずが)せし■明月餘情と題し初編(しょへん)より二篇三篇(にへんさんべん)及び追々尓(おいおいに)数編(すへん)を継ぐ遊客(ゆうかく)乃電覧(でんらん)尓備ふと云爾
大門口 津たや十三ら板
【ごくざっくり意訳】
吉原遊廓には見物がある。頭は茶番劇、お尻はお祭り、足や手は踊りのようだ。
セリフの声は芝居に似て、何だコレは?コレは俄祭りというもので、日夜繰り返される趣向は日々同じではなく、昨日の面白さが明日には変わる飛鳥川。
花の彩りを余さず漏らさず絵に描いた、これこそ『明月余情』というもの。
これからもバンバンと続編を出して参りますので、皆様にご覧いただけたら幸いです。
大門口の蔦屋重三郎が板元。
……とまぁこんな具合。蔦重らしいユーモアセンスが今回も光りますね。
みんなで風物詩を楽しもうとする大らかさが、彼の真骨頂とも言える跋文でした。