最終回まで残り3話…道長を捨ててはばたくまひろ。「光る君へ」史実を基に11月24日放送を振り返り:2ページ目
藤原賢子の出仕
はばたいてゆく母と交代するように代理へ出仕した越後弁(えちごのべん)こと藤原賢子。
実際に彼女が出仕したのは長和6年(1017年。寛仁元年)ごろと言われ、大河ドラマでは少し遅くなっていました。
ちなみに越後弁という女房名は、祖父の為時(越後守)と亡き父・宣孝(権右中弁)を組み合わせたものと考えられます。
かくして宮廷デビューを果たした越後弁は藤原頼宗(道長次男)、藤原定頼(公任嫡男)、源朝任(あさとう。倫子の甥)らと華やかな交際を繰り広げました。
後に藤原兼隆(道兼次男)や高階成章(なりあきら)と結婚して大弐三位(だいにのさんみ)と呼ばれ、やがて親仁親王(後朱雀天皇の皇子で春宮。のち後冷泉天皇)の乳母を勤めます。
母親とは違い処世術に長け、恋愛上手で知られた賢子は、当時の女性が描く幸せをてんこ盛りにしたような人生を歩みました。
そんな中、初恋?の双寿丸(伊藤健太郎)は刀伊の入寇で討死するのでしょうが、そんなものはほんのスパイスでしょう。