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防災の日に合わせた?天正地震について
天正13年11月29日(1586年1月18日)、近畿・中部地方を中心に激震が走りました。
このいわゆる天正地震のエピソードを、関東大震災(大正12・1923年9月1日)から100年の節目となる9月第1週放送に持って来たかったものと思われます。
劇中でも羽柴秀長(佐藤隆太)が言及していた通り、美濃国の大垣城が全壊焼失したほか、織田信雄の居城であった伊勢長島城も倒壊。彼が「天が戦さなどやめよと言っておる」と震え上がったのも無理からぬところでしょう。
しかし「我らが神の君」はそんな天の声も意に介さず、もう戦えないと分かっていながら、亡き瀬名の想い即ち秀吉との対決にこだわり続けます。
個人的には「もし瀬名が生きていたら、民を真っ先に救えと言うのではないだろうか」と感じました。
ドラマだとCGで城の天守閣を除いて市中のほとんどが崩壊していましたが、城内はちょっとゴミが散らかった程度で、もう少し被害の大きさや救援活動に放送時間を割いて欲しいところです。
本作は全体を通して家康が民衆を思いやる描写が乏しく、自分の妻子とごくわずかな仲間たちだけで物語を進めている印象が否めません。
今や三河・遠江・駿河・甲斐・信濃という五ヶ国を支配する大大名なのですから、それに相応しい度量を備えて欲しいものです。
防災意識の高まっている21世紀の視聴者を相手にしているからこそ、災害の深刻さやそこから立ち直る人々の勇気や絆を描いてもらえると嬉しく思います。
また、最新の時代考証などから「当時は建築技術が発達しておらず、地震が起こるとこれほど大きな被害が生じ、限られた中でこの程度の対処をするよりなかった」などの描写を見せることで、より防災意識も高まるのではないでしょうか。
天正地震という日本史上でも重大なトピックを取り扱っているのに、もったいなかったな、というのが正直なところです。
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