手洗いをしっかりしよう!Japaaan

大河ドラマ「どうする家康」史実をもとにライター角田晶生が振り返る 「どうする家康」数正のあほたわけー!その真意に一同涙……第34回放送「豊臣の花嫁」振り返り

「どうする家康」数正のあほたわけー!その真意に一同涙……第34回放送「豊臣の花嫁」振り返り:3ページ目

今回のヒロイン「豊臣の花嫁」旭姫

……関白重て信雄とはかられ。 君の北方先に御事ありし後。いまだまことの臺にそなはらせ給ふ方も聞えず。秀吉が妹を進らせばやと懇に申こはる。浅野彌兵衛長政などよくこしらへて。終には御縁結ばるべきに定まりしかば。浜松より納采の御使に本多忠勝をつかはさる。これも関白のあながちに忠勝が名をさしてよびのぼせられしなり。四月十日かの妹君聚楽のたちを首途し給ひ。おなじ廿一日浜松へつかせたまふ。先榊原康政がもとにて御衣裳をとゝのへられて後入輿し給ふ。御輿渡は浅野長政。御奥請取は酒井河内守重忠にて。其夜の式はいふもさらなり。廿二日御ところあらはしなど。なべて関白より沙汰し給ふをもて。萬に美麗をつくされしさまいはむかたなし。これ後に南明院殿と申せしは此御事なり。……

※『東照宮御実紀』巻三 天正十三年「家康娶秀吉妹」

秀吉は織田信雄(浜野謙太)と相談し、家康に新たな正室を迎えさせることにしました。そこで白羽の矢が立った秀吉の妹・旭(山田真歩)。

お世辞にも美女とは言い難いものの、何とか徳川・豊臣両家の仲を取り持とうと明るく気丈に振る舞う姿に、多くの視聴者が胸打たれたのではないでしょうか。

劇中でも言及があった通り、彼女には夫がいたものの無理やり離縁させられ、自害や出家など悲惨な末路をたどったようです(諸説あり)。今回は行方知れずとなっていましたね(暗殺されたものと思われます)。

さて、縁談がととのうと結納のために本多忠勝が上洛しました。何でも秀吉の指名だそうで、小牧・長久手の合戦における忠義と豪胆ぶりがよほどお気に召したようです。

なお、最初に旭を迎えに行ったのは天野康景(あまの やすかげ。三郎兵衛)。家康の人質時代から忠義を尽くした名臣の一人でした。

しかし秀吉は「お前なんぞ知らん、酒井か本多、榊原を迎えによこせ!」とご立腹。面目丸つぶれの康景、気の毒でなりませんね。

十九日 甲申

……天野三郎兵衛をつ可ハし候秀吉■御存知仁尓て候腹立尓て候■候酒井左衛門尉其外本田平八郎榊原小平太可誠候ハぬとの儀尓て候……

※『家忠日記』第四

そんな事もありましたが、天正13年(1585年)4月10日に旭たちは京都・聚楽第を出発。4月21日に浜松へ到着。榊原康政が衣裳を整えて輿入れしました。

豊臣家からの引き渡し役は浅野長政(あさの ながまさ)、徳川家からの引き受け役は酒井重忠(さかい しげただ)が務め、その晩は盛大な祝宴が催されます。4月22日には所顕(ところあらわし)と言って、正式な披露宴が開かれました。

これで家康は秀吉の義弟となったのですが、それと上洛とは話が別。家康はなおも意地を張り続けるのです。

徳川家康の後室・旭姫(山田真歩)とはどんな女性?その生涯をたどる【どうする家康】

天正7年(1579年)に愛する妻・瀬名(演:有村架純。築山殿)を処刑して以来、正室を迎えていなかった徳川家康(演:松本潤)。そんな天正14年(1586年)、政敵として対立していた羽柴秀吉(演:…

4ページ目 母親まで人質に!秀吉からの最後通牒

 

RELATED 関連する記事