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「どうする家康」さらば狼、ありがとう我が友。第28回放送「本能寺の変」振り返り:5ページ目
家康三大危機の大トリ「神君伊賀越え」スタート!
さぁ始まりました。三河一向一揆・三方ヶ原合戦に続く家康三大危機の大トリがこちら「神君伊賀越え」となります。
次週のメインテーマとなることが予想されるため、今回はその冒頭のみを見ていきましょう。
……天正十年五月織田殿の勧めにより京に上らせたまひ。やがて堺の地御遊覧終り。既に御帰洛あらんとせしに。茶屋四郎次郎清延たゞ一騎馳来り。飯森の辺にて本多平八郎忠勝に行あひ。昨夜本能寺にて織田殿の御事ありし様つばらに語り。忠勝四郎次郎とゝもに引返し。御前に出てこのよし申す。 君聞しめしおどろかせ給ひ。今この微勢もて光秀を誅せん事かたし。早く京に帰り知恩院に入り。腹切て右府と死を同じうせんとて。御馬の首を京のかたへむけられ半里ばかりゆかせ給ふ所に。忠勝又馬を引返し酒井忠次。石川数正。榊原康政等にむかひ。若年のものゝ申事ながら。君御帰京有て無益の死を遂られんよりは。速に本国にかへらせ給ひ御勢をかり催し。明智を誅伐したまはんこそ右府へ報恩の第一なれといへば。忠次老年のわれらかゝる心も付ざりしは。若者に劣りし事よとてそのむね申上しに。われもさこそは思ひつれども。知らぬ野山にさまよひ山賊野伏の為に討たれんよりはと思ひ。帰洛せんとはいひつれ。誰か三州への案内知りたるものゝ有べきと仰ければ。さきに右府より堺の郷導にまいらせし長谷川竹丸秀一は。主の大事に逢はざるをいかり。哀れ光秀御追討あらんには。某も御先討て討死し故主の恩に報じなん。これより河内山城をへて江州伊賀路へかゝらせ給ふ御道筋のもの共は。多くは某が紹介して右府に見えしものどもなれば。何れの路も障ることはあらじと。かひがひしく御受申せば。 君をはじめたのもしきものに思しめす。……
※『東照宮御実紀附録巻四』「天正十年家康伊賀路之危難」
茶屋四郎次郎(演:中村勘九郎)が信長の横死を伝えてくれたのは劇中の通りでしたね。
しかしちょっと違うのは、家康が「今のわずかな手勢で光秀を討つこともできないから、早く京都へ行って腹を切って信長殿の後を追おう」と言っている点。
それを本多忠勝(演:山田祐貴)が「いや、そんな無駄死にするより、三河に帰って兵を集めて敵を討ってこそ、信長様への恩返しになるだろう」と進言しました。
忠勝の心意気に酒井忠次(演:大森南朋)らは感心し、家康も「実はわしもそう思っておったが、帰り道中で落ち武者狩りで殺されてもみっともないと思ったから、腹を切ろうと思っていたのだ」と答えます。
「誰か三河まで道案内がいればいいんだけどな……誰かおらぬか?」と家康が問うと、信長から道案内につけられていた長谷川秀一(はせがわ ひでかず)が「ならばそれがしが」と買って出ました。
「我が主君の仇を討って下さる徳川様のため、微力を尽くしましょう。幸い帰り道中のあちこちに、かつてそれがしが信長様へ引き合わせて恩を売った者たちが多くおります。きっと彼らも力になってくれましょう」
その言葉を心強く思った家康は、一路三河を目指すことに決めたのです。
(ちなみに、堺で家康と会っていたお市が「私も岐阜に帰ります」なんて言っていましたが、そんな近所に帰るみたいなノリで大丈夫でしょうか。あの時点で「信長の縁者」が堺にいたら、どんな目に遭わされるか分かったもんじゃありません。果たして彼女がどんなルートで岐阜ヘ生還できたのか、フィクションとは言え気になりますね)
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